クロガネ・ジェネシス

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第一章 激闘湿地地帯

 

大蛇再び



「アーネスカ。生きてるか?」

「……なんとかね」

 湿地地帯の地下に広がっていた地底湖から這い上がり、2人はお互いの無事を確認しあう。

 ここがどこなのか。2人に分かるのは湿地地帯の地下であるということだけだ。

 アーネスカの足に絡みついた蛇によって二人は湿地地帯からこの地下の空洞に引きずり込まれた。引きずり込まれた先には地底湖が広がっており二人は今這い上がったところだったのだ。

 だが、不思議ことに周囲は暗くなかった。なぜなら、壁が青白く光っていたからだ。

「ここは一体……」

 色々と疑問はあるが、零児はとりあえず状況を分析することに努める。

 光苔《ひかりごけ》でも生息しているのか、周囲は暗くない。地底湖の周囲には巨大な穴がいくつもあいている。まるでアリの巣かなにかのようだ。

 だが、実際にはあの巨大な蛇の住家と考えるのが妥当だろう。

 穴は人間が通るには十分すぎる大きさだった。

 だが、人間が通れると言っても、ヘビー・ボアが出入りするには小さすぎる。

「さて、どう考えるべきかな……。どう思う? アーネスカ?」

「知らないわよ」

 水を吸った法衣服を絞りながらアーネスカはぶっきらぼうに答える。

「お前なぁ……こんなときぐらい強力しようぜ。こんなときにガキ臭い喧嘩してる場合じゃねぇだろ?」

「う、うるさい……。わかってるわよ……そんなこと」

 強く出ようとしたが、なぜかアーネスカはシュンと声のトーンを落とす。

「……1つ聞いていいか?」

 何を考えているのかいまいちわからないアーネスカに、零児は疑問をぶつけることにした。恐らくその疑問が今のアーネスカの状態と何かしら関係があると思ったからだ。

「どうして、蛇が苦手だって言わなかったんだ?」

「……な!?」

「……なんでなんだ?」

「………………」

 アーネスカは答えない。弱点がばれたことに対する負い目なのか、零児にそれを見透かされたことに対する戸惑いなのか、それはアーネスカの表情からは読み取れない。

「アーネスカ……?」

「うるさい! あたしが蛇苦手じゃだめなの!? あんたには関係ないでしょ! 誰に何を言おうとあたしの勝手でしょ! そもそもそれが今の状態とあんたになんの関係があんのよ!!」

 アーネスカは感情を爆発させて矢継ぎ早に言い放つ。その声が辺りに反響する。

 零児はアーネスカの胸倉を掴んでさらに凄み返した。

「こんな状況で切れてもしょうがないだろうが!! 蛇が苦手なお前があの作戦に参加しなければ、今頃ヘビー・ボアを殲滅できてたかもしれないんだぞ!」

「あたしがいたかどうかで、状況が変わってたって言うわけ!」

「100%そうだとは言わねぇが、そうなった可能性は十分あるって言ってんだ! 仲間達に自分の弱点も知らせず、いざと言うときになって足を引っ張ってこういう状況になったんだから、お前にも十分責任があるだろう!」

「……!」

 アーネスカが一瞬言葉に詰まる。

「……それに」

 そこで切り、アーネスカにしっかり言い聞かせるように、零児は続けた。

「俺は人の弱点指摘して、ヘラヘラ笑うほど人間腐っちゃいねぇ!」

「……レイ……ジ?」

「俺を見くびるなよ……」

「……分かったわよ」

 自嘲気味にアーネスカは笑う。

 零児は自分の性格をアーネスカに重ねて考えた。どっちも意地を張る性格ゆえに、自分の弱点をさらけ出すことが出来ない。

 それは零児もアーネスカも同じ。少なくとも、零児はそう考えていた。

 だからこそ、アーネスカは自分の弱点を零児に伝えることが出来なかった。零児に弱点を握られる。そう考えてしまったから。

 零児はアーネスカの胸倉を放す。

「今は……お互いに協力してここから脱出することが先決だ。違うか?」

「……あんたの言うとおりね。分かってたんだけどさ……そんなことは」



「じゃあ、まずは状況の確認だ」

 一応和解した零児とアーネスカは現状の確認と称して話しながら、人間が通れる大きさの穴の中を歩く。

 それがどこに通じているのかは零児にもアーネスカにもわからない。

「まあ、順当に考えて、あの蛇の巣と考えるのが妥当ね」

「ああ、だがそれだけでは腑に落ちないこともいくつかある」

「なによ?」

「俺達が今通っているこの道。あの蛇の太さじゃあ、この通路は狭すぎると思わないか?」

「確かにそれは言えてるわね。でも、ここがあの蛇の巣だと考えないと、数週間前に突如としてあのヘビー・ボアが現れたことに対して説明がつかないわ。あんな巨大な蛇がまさか海からやってきたなんてとても考えられないし。うっ……蛇のこと考えたら寒気がしてきた」

 アーネスカは自分を抱きしめる。

「服も濡れてることだしな、寒気の1つだってしたっておかしくないさ」

「まあ、そうなんだけどさ」

「とりあえずだ、ヘビー・ボアについて考えられる可能性を上げるとするなら、この洞窟内に、蛇を巨大化させるなんらかの要因があって、それによってヘビー・ボアが誕生したんじゃないかと俺は思う」

「考えたくないけど、その考えもあながち間違いではないかもしれないわね。うう……」

 自分の二の腕を擦りながら、アーネスカは自分の体をふるわせる。

「風邪でも引いたか?」

「さあ、どうかな? 単に蛇のこと考えて寒気がずっとしてるだけってことを考えたいわ」

「まあ、蛇が出てきたら俺が真っ先に退治してやるよ。だから安心しろ」

「安心しろ……か」

 それ以降アーネスカは無言になった。アーネスカの表情は読みにくい。零児はそう感じた。

 単に零児がアーネスカのことをあまり知らないだけでもあるのだが、それ以外にもアーネスカは表情と感情が一致せず、無言になるとことさら考えていることが分からなくなる。

 そんなことが今までもあった。

 アーネスカは自分のことを他人にさらけ出すのが苦手なのではと零児は考える。もしくは自分に関する情報を無理してでも隠そうとしているか……。

「零児……」

「なんだ?」

「なんで……手離さなかったわけ?」

「?」

「あたしの手を離せば、あんたまでここに引きずり込まれることはなかったと思うんだけど」

「……」

 確かにあの時、零児が手を離していれば零児までアーネスカ共々ここに引きずり込まれることはなかった。

 しかし、そんな選択肢は零児にはなかった。

「さっきも言っただろ? 俺を見くびるなってよ」

「どういう意味?」

「あそこでお前を見捨てて俺1人だけ助かるなんて選択肢、俺にはなかった。仲間を見捨てるなんて選択肢はなかった……ただそれだけのことさ」

「……そう」

 再び静寂が洞窟を満たす。光を放つ壁の洞窟、響き渡る2人の足音。その光景はある種不気味だった。

「レイちゃん……」

「……レイジ」

「……」

 湿地地帯近くにあったコテージに火乃木、シャロン、ネルの3人の姿があった。

 ヘビー・ボアの遠距離攻撃は多くの魔術師を傷つけた。しかし、運が良かったのか、火乃木とシャロンはその直撃を免れることが出来た。

 討伐作戦は中止になった。しかし、接近戦部隊が現在応戦しており、ヘビー・ボアがどうなるのかは火乃木達にはわからない。

 アーネスカと零児が行方不明になったことで、火乃木とシャロンは驚きを隠せずにいた。

 ネレスの目の前で2人は地下に引きずり込まれた。

「ゴメン……私がしっかりしてりいなかったばっかりに……」

「ネルさんのせいじゃないよ……」

「……(コクン)」

「そういってくれるのは嬉しいけどね、2人とも」

 ネレスに出来たことはジルコン・ナイトに、仲間が行方不明になったと言うことだけだった。

 湿地地帯に地下があるなんて情報は火乃木達にはない。火乃木達は黙って零児とアーネスカが帰ってくるのを待つことしか出来なかった。

「レイちゃん……死んでないよね」

 涙すら流しながら、火乃木はそんなことを口にした。



「あ……」

 零児が声をあげる。

 今まで人間が通れる程度の大きさでしかなかった通路が突然開けたのだ。

 そこにあったのは、大きな空間だった。その空間の中心に湖がある。そして、今2人が通ってきた通路とは比べ物にならないくらいの大きさの『穴』だった。その穴からはチョロチョロと水が流れてきており、湖と繋がっていた。

「どうやらヘビー・ボアは、あの穴を通って外に出たみたいだな」

 零児はその巨大な穴こそがヘビー・ボアが通った道だと結論した。

「そうみたいね。だとしたら気になるのはあんたが言ってた、ヘビー・ボア巨大化説ね」

 先ほど零児は突然蛇が巨大化してこの洞窟から外に出たのではと推測した。もしそれが本当だとしたら、この空間内で巨大化し、膨れ上がる自らの体によって穴が肥大化して、外に出たと言うことが考えられる。  だが、この推測通りだとしたらどうしても無視できない要素が出てくる。

「ヘビー・ボアがここで巨大化したとしたら、一体何がそれほどの巨大化を引き起こしたか……だな」

「確かに、その原因がわからなきゃ、あんたの説も推測の域を出ないものになる」

「アーネスカに心当たりはないのか?」

「ないわよ。流石に……」

「だよな……俺にもない……ん?」

 言いながら零児は気づいた。この空間に満たされた青白い光。その輝きが湖から一際強く放たれていることに。

 零児は湖に近づいていく。

「どうしたの? 零児?」

「この湖の底……なんかあるぞ」

「なんか?」

「何かはわからないが、とにかく何かある」

 言われてアーネスカも湖を覗き込む。

「……なにかしら?」

 湖の底から光り輝く何かがある。

「……なぁ、アーネスカ」

「なによ?」

「マナジェクトって可能性はないか?」

「流石にそれは……」

 マナジェクトとは、魔力を生み出す鉱石のことで、一般に魔石と呼ばれているものでもある。

 人間の持つ魔力に反応して半永久的にエネルギーを発生させるだけの力を持ち、城や特定の範囲内に長期的に結界を張り続けたり、莫大な魔力の貯蔵を行うために使われたりする。

 人間の魔力が人間の生命エネルギーそのものであるのに対し、マナジェクトに宿る魔力は大地に宿るエネルギーであると言われているが、詳しいことはよく分かっていない。

 希少価値が高い理由は中々見つけられないからだ。過去に多くの有権者や王族が大量に手に入れたため、今では中々手に入らない貴重な石となっている。

「こんなところにマナジェクトがあったら、とっくの昔に時の有権者やルーセリアの王族が見つけているはずよ」

「だとしたら、あれがマナジェクトであると言う可能性以外で、ヘビー・ボアの巨大化の理由を見つけられるか?」

「ちょっと待って零児。マナジェクトは魔力を含んだ鉱石よ。生物の姿を劇的に変化させたり、巨大化させたりと言った作用はないわ」

「だが、マナジェクトに関してはい未知の部分も多くあると聞く。そうである以上、わずかな可能性でさえ否定することはできないんじゃないか?」

「確かにそれは……そうかもしれないけど」

 零児もマナジェクトに関しては大規模な魔力を発生させる鉱石であると言う以上のことは何も知らない。何せ零児の知識は本で得た知識でしかない。

 さらに零児はマナジェクトと言うものを直《じか》に見たことがない。であるなら様々な可能性を考えるのは、ある意味至極当然と言える。

「とりあえずは、ここを脱出して、ルーセリア王に報告をしたほうがいいかもしれないわね。湿地地帯の地下にこれだけ広大な空間があるのだから、ジルコン・ナイトが動いて調査を行うかもしれない」

「だな。じゃあ、とりあえず」

 零児はヘビー・ボアが通ったであろう通路を指差す。

「あの先に行ってみようか」

「OK……」

 蛇が通った後と言うのがなんとなく嫌なのか、アーネスカの声のトーンが落ちた。

「ん?」

 通路に向かおうとした零児の動きが止まる。

「どうしたのよ? 零児?」

「何か聞こえないか?」

「え?」

 言われてアーネスカは耳を傾ける。

「……! 確かに……何か聞こえる」

 引きつった声でアーネスカは言う。鳴き声と言うにはあまりに耳障りな音。

 それは零児達が今まで通ってきた通路から聞こえてきた。

「何か……来る!」

「零児……あたしすっごいやな予感するんだけど……」

「俺もだ……」

 光り輝く洞窟。零児達が通ってきた通路の奥からこの空間に向かって何かが移動してくる。

「勝てると思う? あたしの銃、今バンに水入ってて使い物にならないんだけど」

「剣の弾倉《ソード・シリンダー》を口ん中でぶっ放して、爆発させることが出来れば勝てるかもしれないが……正直成功前に食い殺されそうな気がする」

「逃げるに一票」

「珍しいな……意見が一致するとは……」

 移動してくる何かの姿を零児達はみた。ヘビー・ボアには遠く及ばないが、それでも巨大な蛇。零児達が通ってきた通路を完全に塞ぐほどの太さ。

 確かに零児の剣の弾倉《ソード・シリンダー》なら倒せる可能性はある。しかし、リスクも大きい。

 生き延びる可能性を戦うことにかけるか、逃げることにかけるか。2人の結論は決まっていた。

 蛇の姿を確認し、零児は叫んだ。

「退却ーーーーーーーッッ!!」

 零児とアーネスカはその場からヘビー・ボアが通ったであろう通路に向かって全力で走り出した。

 背後の蛇はそれを逃すまいと口を半開きにしながら零児達を追いかける。

「追ってくるわ!」

「俺達をエサだと思ってるんだろ! 冗談じゃねぇ! 蛇のエサになんかなるかよ!」

 零児はアーネスカの手を掴み、全力で走る。

「俺の手を離すなよアーネスカ!」

「わかった! 零児! あたしの命あんたに預けるからね!」

「任せろ!」

 零児の足の速さは、アーネスカも知っている。アーネスカは零児に自らの命を預ける覚悟を決めた。

 ――うおおおおおおお!!

 無言で心の中で咆哮をあげながら零児はひた走る。

 途中、チョロチョロと流れてきていた水の量がどんどん増えてきている。いや、その流れはもはや川と形容するに相応しいほどの水量となっている。

「この水って……!」

「湿地地帯の水かもな!」

 水の量はどんどん増えていく、同時にどんどん通路が坂になっていき、零児の息も切れ始めてきた。

「零児! ここからは自分で走る! 手を離して!」

「冗談じゃねぇ! ハァ……ハァ……そうは、いくか!」

 しかし、大蛇は真後ろに迫っている。いつでも零児達を口に入れられるようにとその巨大な口を開いている。

 ――あれは……!?

 息も絶え絶えな零児はそのとき確かに見た。この洞窟とはまったく違った光を。

 ――外か!?

 が、その距離は数十メートル離れている。大蛇に追いつかれる前までにたどり着けるとは思えない。

 その時。

「れ、零児!」

「しまった!」

 不覚にも零児が右手で掴んでいたアーネスカの手が汗で滑り、その手を離してしまったのだ。

 アーネスカは川となっている水の流れもあって、ものすごい勢いで坂を滑り落ちていく。その下には巨大な口を開けた大蛇の姿があった。

 大蛇の顔はまるで笑っているように見えた。

「あんたなんかのエサになってたまるかぁ!!」

 アーネスカは懐から赤い宝石を取り出し、それを大蛇の口に放り入れた。

「エクスプロージョン!!」

 そして宝石内に込められた魔術を発動した。

 大蛇の喉の辺りで宝石は大爆発を起こし、その口内から熱を帯びた息と煙が吐き出される。

 しかし、大蛇の動きを止めることは出来ず、大蛇の開かれた口はアーネスカのすぐ目前に迫っていた。

 もはやアーネスカの力ではどうにもならない。口の中に入ってしまえばアーネスカの体などあっと言う間に口内で押しつぶされ即死は免れない。

 自らが強く嫌悪する巨大な蛇を前にしてアーネスカは恐怖を感じると同時に放心した。

 ――うそ……あたし……これで終わっちゃうの? こんなところで……?

 天国や地獄、あの世とこの世。そんな言葉は腐るほど聞いてきた。しかし、アーネスカはそんなもの信じてはいない。

 死は死でしかない。死んだものが行くところは結局同じところでしかない。生前何をしていたかなんて関係ない。

 アーネスカはそういう考えを持っていた。

 だとしたらなぜこんなところで死を待つことが出来ようか。なぜこんな所で、蛇のエサになる形で人生の幕を引くことが出来ようか。

 ――あ……嫌……!

「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「アーネスカァアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 その時、零児が蛇の口に自ら飛び込んできた。

 零児は無限投影を発動、全魔力を使い、正四角形の巨大な石を発生させた。石と言ってもその中身はスカスカで、体積はほとんどない。つまり形と硬さだけの石だ。零児の魔力で一度に発生させられる巨大な物体はこれが限界だった。

 その巨大な石は蛇の口を閉じるのを防いでいた。

 そして、アーネスカもまた蛇の口内、零児の傍までやってくる。

「アーネスカ、止めを刺すんだ! 俺の魔力じゃこんな巨大なもの1分も維持できない! お前の魔術でコイツを倒すんだ!」

「……分かった!」

 放心状態から我に返ったアーネスカは即座に返事をした。  アーネスカは懐からさらに複数の赤い宝石を取り出した。それらは先ほど放った『エクスプロージョン』の宝石だった。

 アーネスカは呪文を唱え始める。その呪文は10秒程度の簡易なものだった。

 ――あたしは……あんたなんかの餌にならない! あたしにはやらなければならないことがあるから!

「これで……終わり!」

 アーネスカは右手に持った複数の宝石を一度に蛇の喉目掛けて投げつける。

「ヒュージ・エクスプロージョン!!」

 悲鳴交じりの魔術の発動。その言葉に続いて、宝石が大爆発を起こした。

 爆音が再び洞窟内に轟く。その音は耳を劈《つんざ》くほどの巨大なものだった。その爆発は大蛇の首を大きく吹き飛ばした

 それは大蛇の命の終わりと、零児達の生存を意味していた。

 爆発によって洞窟内に放り出された零児とアーネスカは、川のように流れ出る水のせいで全身が再び濡れることになった。

「アーネスカ! 無事か!」

「……大丈夫! そっちは!?」

「こっちも平気だ!」

 2人はお互いの無事を確認する。

 先に立ち上がったのは零児だった。零児はアーネスカの近くまで歩み寄る。

「さあ、外に出ようぜ!」

 そして、アーネスカに右手を差し出した。

 アーネスカは迷うことなくその手を掴んだ。

 そのアーネスカの表情は泥や水に濡れていながら晴れやかだった。そして、その晴れやかな笑顔でアーネスカは言った。

「ありがとう……。零児」



 案の定、零児達が通ってきた道は外に繋がっていた。入り込んでいた水は湿地地帯の水で、この洞窟からヘビー・ボアが姿を現したと考えてほぼ間違いないと考えられた。

 零児達が出たところは、トレテスタ山脈側近くの穴だった。

 まだ破壊されていない橋を辿っていけば、火乃木たちがいるであろうコテージにたどり着けるだろうと言うことで、橋を渡って走っていくことにした。まだヘビー・ボアが生きているのなら、零児達を襲う可能性があるかもしれないからだ。

 湿地地帯には誰一人としていなかった。ヘビー・ボアの撃退に成功したのかどうかはわからない。だが、湿地地帯に死体らしきものは転がっていないことから、倒すことに成功したととらえてもいいように思えた。

 湿地地帯より上の草原が近づいてくる。草原にはヘビー・ボアと戦ったであろう人間達が傷の手当てをしたり、休憩をとっているようだった。

 そして、草原にいた人間達が零児達の姿を確認すると、零児達はすぐさま保護された。

 結果として大蛇討伐部隊に死者はいなかった。しかし、零児とアーネスカは行方不明者として扱われていた。

 そして、その2人が帰ってきたことは多くの人間の心を歓喜させた。

 知り合いでもない、仲間でもない。ただ供にヘビー・ボアと戦った人間の一員として多くの討伐隊がその無事を喜んだのだ。



「レイちゃーん!!」

 コテージに火乃木の悲鳴が混じった喜びの声が響き渡る。

 全身ずぶ濡れになっているにも関わらず火乃木は零児に抱きついたのだ。

「よかった……よかった! 無事で……」

 半ば混乱しながら火乃木は涙やら汗やらを顔一杯に浮かべている。目元が赤いところを見ると、どうやら泣いていたようだ。

「心配かけたな」

「まったくだよーレイちゃん。もう! 今度無茶したら思いっきりチョップかますからね!」

「はいはい」

 もちろん零児とアーネスカの帰還を喜んでいるのは火乃木だけではない。

 ネレス、シャロンも同様だ。

「2人ともよく無事に帰ってきたよね」

「……よかった」

「ありがとう。2人とも。この通りピンピンしてるから大丈夫よ」

 言って、アーネスカは零児を見る。

「あいつのおかげでね……」

 その笑顔は穏やかなものだった。

「おや〜?」

 ネレスはアーネスカの顔を覗き込む。

「な、なによ……ネル……」

「ひょっとして……惚れた?」

 その台詞にアーネスカが顔を赤くして狼狽する。

「そ、そんなことない! そんなことはないわ断じて! だ、だぁれがあんなチンチクリンのことを……」

「だぁれがチンチクリンだ、まな板女ぁ!」

「だ、誰がまな板だー!」

 一見元の木阿弥、また零児とアーネスカの喧嘩が始まったものと思えた。しかし、2人の心の内は明らかに変化していた。

 その証拠に、その喧嘩を当人達が楽しそうにやっているようにさえ見えた。



 その日の夜。

「おや? アーネスカ1人か?」

「まあね……」

 風呂上りに軽く飲み物でも飲もうと食堂を訪れていた零児は、椅子に座り、銃の手入れをするアーネスカの姿を目にした。

 零児はアーネスカとは向かい側に座る。

「ルーセリア王にあのことは?」

「流石に直接聞いてはくれなかったけど、ジルコン・ナイトの人があたしの話を聞いてくれたわ。明日にでも調査を行うそうよ」

 零児とアーネスカがあの洞窟で見つけたマナジェクトらしきもの。ヘビー・ボアがどういった経緯で誕生したのか、その経緯と可能性。

 アーネスカはあの後そのことをジルコン・ナイトに話したのだ。

ヘビー・ボアは1度撃退することには成功したようだが、止めをさすことは出来ず、今も湿地地帯のどこかに潜んでいるようだった。今回零児とアーネスカが橋を渡って戻ってこれたのは運がよかった。

「最低でも2日はかかるそうよ。3日目から再び討伐作戦再開だってさ」

「そうか。だとしたら2日分暇な時間が出来るわけだが、その間何か予定はあるか?」

「特にないわね。今考えていたところ」

「そうか、俺はとりあえず寝ていることにするよ。今日で疲れたし」

「同感。あたしも久しぶりに寝て過ごそうかな」

「横になってばっかだと太るぜ。胸以外が」

「大きなお世話よ!」

 2人揃って軽く笑う。もはやこの喧嘩も日常茶飯事と化している節がある。少なくとも本気で罵りあうということは今後はなさそうだ。

「あたしさ……」

「ん?」

「強くなければ……って思ってた。自分が」

「どうした? 急に?」

「独り言よ。気にしないで」

「……ああ」

 アーネスカは言葉を続ける。

「子供の頃、両親を殺されたときから、自分が弱いせいでこんなことになったって思うようになってた、あたしは強くありたいと願いながら、10歳の時に家出同然に家を飛び出したわ。魔術にしろ、銃にしろ独学で必死に勉強して、覚えた魔術でアスクレーターやって……そうやって路銀を稼ぎながら、ルーセリアまでやってきた……」

「……」

「誰よりも強く、誰よりも上の存在でなければ両親の敵を討つことは出来ない。そんな考えでルーセリアの……エルマ神殿の門をあたしは叩いた。16の頃だったかな? あたしは魔術も格闘術も銃の腕も全部を会得したくて、そのためにエルマ神殿で自分を磨いた。亜人への憎しみを糧にしてね」

 零児は黙ってアーネスカの話を聞いている。アーネスカは理由として必要ならば自分の過去を平気で話す。しかし、逆に不要に自分の過去を明かすようなことはしない。しかし、今はなんの必要もないのに、ベラベラとしゃべっている。こんなことは初めてだった。

「だけど、ライカに諭されて知ったわ。あたしの心には復讐心しかない。それじゃあ、本当の意味で両親の敵を打つことは出来ないともね。あのままだと、あたしは、他人を傷つけることしか出来ない存在になっていたんじゃないかって今なら思う。だけど今は……」

「……」

「今は……なんか楽しいのよね。あんたと喧嘩することも、火乃木達とおしゃべりするのも、力をあわせて大きな敵を倒すって言うのも……全部が楽しい。これはきっと神エルマの導きによるものなのかな〜なんて考えると、あたしはエルマの騎士になって本当によかったと思うの。復讐に燃えていた頃より、ずっと心が楽でさ。火乃木や、シャロン……それに……あんたに出会えて本当に良かったなぁって今は思うのよね……」

 そこで話が途切れる。アーネスカの話が終わったと感じた零児は沈黙を破ってアーネスカに語りかけた。

「珍しくおしゃべりだな。お前がそんなに生き生きとしゃべってるところ、初めて見たぜ」

「たまにはね。女ってのはしゃべるの好きな生き物だしね」

 アーネスカはそういって手入れをしていた銃をホルスターに収めて、立ち上がる。

「もう寝るわ。聞いてくれてありがとう」

「ん。そうか。お休み」

「ええ。お休み」

 アーネスカは自分の部屋に戻っていった。

 零児はアーネスカの心境の変化を実感しながらそれを見送った。

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